ザ・ブルースカイオーケストラ

昭和2年(1927年)初代奥田宗宏が横浜ハーモニカジャズバンドを結成。16歳でバンドリーダーとなり注目を浴びる。 また日本で初めて楽団名にジャズの文言を入れたバンドでもある。昭和9年(1934年)には、下丸子の「東横ダンスホール」で初代奥田宗宏がブルースカイオーケストラと命名。戦前より活動する最年長のビッグバンドとしてコンサート等で活躍する。その一方、NHK開局以来、音楽監督を努め、その当時のスタープレーヤーを結集したNHK オールスターズとしても活躍し、当時活躍したほとんどの歌手・演奏者の伴奏等を努める。また、海外のスターからご指名での共演を努め、ハリー・ベラフォンテ、マックス・ローチ、ソニー・ロリンズ、ルイ・アームストロング、JCハードなどから絶賛を浴びる。 

ダンスオーケストラとしては 、皇室、海外VIPクラスの伴奏にはなくてはならない楽団として、世界一踊りやすい楽団との評価を受け、平成3年度には芸術祭賞を受賞する。 平成4年1月に初代奥田宗宏が亡くなり、そのあとを奥田英人が襲名継承して、その活動を支えている。 創立70余年を越えた今もなお、日本の代表的スウィングバンドとして活躍中であり、次世代に羽ばたく名門ビッグバンドとして注目されている。平成6年には、全国ツアー・海外フェスティバル等への出演。現在は、新生ブルースカイ(奥田”スインギー”英人&ザ・ブルースカイ オーケストラ)として、従来通りコンサート、アルバム製作のほか、演奏指導等を主にこなしている。

さらに、スウィングバンドとしてだけではなく、モダンジャズ、ラテン、タンゴ、映画音楽から童謡、民謡、ナツメロ、クラシックなどあらゆるジャンルをブルースカイカラーにアレンジ、編成も1920年代を彷彿させる9人編成から16人編成のレギュラービッグバンド、50人規模のポップスオーケストラまで幅広く展開している。

The History of Bluesky Orchestra

~ブルースカイオーケストラ栄光の歴史~

・昭和2年(1927年)

初代奥田宗宏が横浜ハーモニカジャズバンドを結成。16歳でバンドリーダーとなり注目を浴びる。また日本で初めて楽団名にジャズの文言を入れる。
・昭和5年(1930年)
初代奥田宗宏が、プロフェッショナルドラマーになる。
・昭和9年(1934年)
東横ダンスホールに出演。「奥田宗宏とスウィンググループ」を結成。
・昭和15年(1940年)
東宝芸能社に入り、映画のアトラクションに出演。田端義夫、ディック・ミネ、灰田克彦、藤山一郎、菊池章子らと共演。
・昭和22年(1947年)
ビクター芸能社に入り、進駐軍のキャンプ回りを行う。この年、楽団名を「ブルースカイ」に改める。新東宝映画「東京シンデレラ娘」でJ.C.ハードと共演、 大映「宇宙人現る」、新東宝「今日も踊って」のタイトルバックにも出演、その当時のほとんどの歌手のバックバンドを務める。
・昭和30年(1955年)
ビクター専属となり、LP「カチューシャから有楽町まで」が大ヒット。このころが第一期黄金時代と呼ばれ、メンバーには、白木秀雄、富樫雅彦、ジミー竹内、世良譲、松岡直也、宮沢昭などが在籍。
・昭和31年(1956年)
NHK専属となり、伝説の「NHKオールスターズ」を結成。メンバーには、渡辺貞夫、南里文雄、松本英彦、秋吉敏子、日野皓正、日野元彦、ジョージ川口らが在籍。
・昭和33年(1958年)
「ダンスと音楽」誌の人気投票で第一位になり、数年間トップの座は動かなかった。
・昭和34年(1959年)
「奥田宗宏ショー」に出演。 また、ダンスの選手権大会にも毎年出演することになる。東芝EMIより「今宵踊らん」を発表。このレコード・シリーズは今日まで継続している。
・昭和41年(1966年)
東芝EMIより『ヒット賞』『協力賞』を受賞。
・昭和43年(1968年)
東芝EMIより『ヒット賞』『協力賞』を受賞。
・昭和44年(1969年)
『ポピュラー世界巡り』が500万枚を越す大ベストセラーとなり、ゴールデンディスクを受賞。『スター映画音楽全集20枚』も300万枚を超えるベストセラーになり、ゴールデンディスクを受賞。
・昭和45年(1970年)
東芝EMI『魅惑のヒットパレード』が300万枚を超えるベストセラーになり、ゴールデンディスクを受賞。
・昭和46年(1971年)
CBSソニー『ベスト・オブ・ベスト・ムードポップス』が300万枚を超え、ゴールデンディスクを受賞。
・昭和47年(1972年)
各地のダンスホール、パーティに全国ツアーで出演、好評を得る。
・昭和48年(1973年)
東芝EMIより『ヒット賞』『協力賞』を受賞。
・昭和49年(1974年)
東芝EMIより『ヒット賞』『協力賞』を受賞。サンケイホールに於いてバンド結成40周年記念パーティーを開催。
・昭和52年(1977年)
世界ダンス競技選手権大会にメインバンドとして出演。
・昭和53年(1978年)
東芝EMIより『今宵踊らん』シリーズで海外進出、英国で大ヒット。
・昭和55年(1980年)
音楽生活50周年記念パーティをサンケイホールで開催。同時に東芝EMIより、『今宵踊らん・ダンス音楽の全て』を発売。
・昭和57年(1982年)
レコード大賞、プレーヤー功労賞を受賞。
・昭和58年(1983年)
『今宵踊らん』(東芝EMI)25周年記念イベントを開催。
・昭和59年(1984年)
LP制作500万枚突破記念パーティ開催。
・昭和61年(1986年)
近畿日本ツーリストの旅行新商品としてダンスツアーを開発。近畿ツーリストとのタイアップで全国で開催。12月には、新桜丸に於いて、日本初のダンスパーティクルーズに出演。
・昭和62年(1987年)
3月10日熱海、ホテル・ニューアカオに於いて、バンド結成50周年記念パーティを開催。また、全国各地で記念パーティを開催、大成功。6月、北海道アルファトマムに於いて、ダンスフェスティバルに3週連続出演。8月、東京・京都でプリンスホテル、マハラジャの協力により、ダンスフェスティバルに出演。大成功に終わる。オリンピック・ボールに出演、サマランチ会長より賛辞を受ける。
・昭和63年(1988年)
奥田英人&ブルースカイとの2バンド体制になる。全国出演。
・平成元年(1989年)
バンド結成55年を迎え様々な記念イベントを開催。世界腎臓学会に出演、高円宮殿下の伴奏を務める。三年連続でオリンピックボールに出演、サマランチ会長・皇太子殿下より称賛される。『今宵踊らん』シリーズ30周年パーティを東京會舘で開催。11月バンド結成55周年記念祝賀パーティを開催。米国よりTp.エリック・ミヤシロ、マイク・プライス参加。
・平成 2年(1990年)
4月、業務拡大のため、ホテル部門、イベント部門、ブッキング部門が独立。ブルースカイ・プロモーションとなる。10月、芸術祭参加作品・芸能生活60周年記念コンサート開催、 NHKオールスターズを復活させる。
・平成 3年(1991年)
1月21日に芸術祭賞を受賞する。3月8日、東京會舘に於いて芸術祭賞受賞記念パーティを開催。11月に『Big Band Fantasy Vol.1』ツアーを開催。
・平成 4年(1992年)
1月19日、リーダー奥田宗宏死去。1月24日、コンサートマスターの奥田英人をリーダーとして、奥田宗宏Jr.&ブルースカイオーケストラとして活動を始める。2月、日中友好20周年記念イベントに招かれ、上海公演を行う。11月、『Big Band Fantasy Vol.2』ツアーを東京、名古屋、新潟で開催。3会場で約4,000人を動員、大好評を博す。
・平成 5年(1993年)
4月、ザ・ブルースカイ・ダンス・オーケストラ大阪を結成。4月16日、ホテル・オークラに於いてチェリーブロッサムボールに出演。 天皇陛下の伴奏を勤め、御前演奏を行う。4月21日、日本クラウンより『ボールルームへの誘惑』をVol.1,2,3と3枚同時に発売。
・平成 6年(1994年)
5月、東京都庁・都庁広場の『火曜コンサート』出演。6月、テレビ神奈川主催『スポーツダンス・フェスティバル』出演。11月、横浜市主催『ジャズ・プロムナード』にダンスバンドスタイルで出演。
・平成 7年(1995年)
4月、テレビ神奈川主催『スポーツダンス・フェスティバル』出演。6月、ハワイ・ホノルル『まつり in Hawaii』出演。7月、全日本ビッグバンド振興会主催 『ビッグバンド・エキサイティング’95』を企画立案し出演。JABA『七夕コンサート』出演、全国のアマチュアの方々より好評を得る。8月、カルフォルニア州・コンコード市『CONCODE JAZZ FESTIVAL‘95』に日本の楽団として初めて出演し、一万人近くの観衆より賛辞を浴びる。サンフランシスコ・フェアモントホテル『Jazz Room』に出演。ラスベガス・フォークイーンズホテル『Monday Night Jazz』にも日本の楽団としては初めて出演し、ショーの本場ラスベガスで最高級の評価を得る。大阪・阪急インターナショナルに於いて60周年パーティを開催、2日間で1000人を動員。9月、東京會舘にてブルースカイ結成60周年記念パーティを開催、300人を越す超満員で大成功に終わる。10月、神戸『ジャズ・ストリート’95』に出演、関西ジャズファンより好評を得る。
・平成 8年(1996年)
東京・高輪区民センター『チャリティコンサート』出演。『ビッグバンド・エキサイティング’96』出演。神戸『ジャズ・ストリート’96』出演。東京『阿佐ヶ谷ジャズ・ストリート』出演。毎日杯争奪『全日本ダンス選手権大会』にてメインバンドを務める。
・平成 9年(1997年)
全国ツアー北海道6ヵ所を行う。ホテルイースト21にて、イースト夏祭りコンサート出演。横浜市『ジャズ・プロムナード』に出演。全国ツアー九州地区5ヵ所を行う。
・平成10年(1998年)
神戸『ジーベックホール』にてクリニックおよびコンサートを開催。東京會舘にて結成65周年のプレ・パーティを開催。『KOBEラテンフェスタ・夏』をジーベックホールにて開催。
・平成13年(2001年)
6月、トロント・デュモリエ・ジャズフェスティバル出演。モントリオール国際ジャズフェスティバル出演。
・平成14年(2002年)
6月、銀座ヤマハホール・ブルースカイ定期公演Vol.12ダンスミュージックの夕べを開催。10月品川プリンスホテルオープニング公演「It’s Show Time』を開催。1ヶ月にわたり公演を行い好評を得る。
・平成15年(2003年)
7月、銀座ヤマハホール・ブルースカイ定期公演Vol.14「銀座ミュージックホール」を開催。
・平成16年(2004年)
2月、TVKテレビ主催「横濱大舞踏会」に出演。7月、ジャズアルバム「SWING」を発表。8月、ダンスアルバム「ダンサ・ラティーノ」をポニーキャニオンより発売。8月、帝国ホテルにおいてBLUESKY70周年記念として、「Imperial Jazz Complex2004」プロデュースと出演。約4,400名動員。
・平成17年(2005年)
8月、帝国ホテルにおいて「Imperial Jazz Complex2005」プロデュースと出演。約4,400名動員。11月、日暮里サニーホールにて「JAZZ IN ARAKAWA」出演。
・平成18年(2006年)
6月、『第27回日本インターナショナルダンス選手権大会2006』にメインバンドとして出演。8月、アルバム 「BLUESKY PLAYS BASIE ~Style of Latin~」を発表。8月、帝国ホテルにおいて「Imperial Jazz Complex2006」プロデュースと出演。約4,400名動員。10月、横濱JAZZプロムナードに出演。11月、日暮里サニーホールにて「JAZZ IN ARAKAWA」出演。
・平成19年(2007年)
7月、静岡Granshipにおいてクリニック&コンサート「SWING JAZZ CLUB」に出演。7月、STB139にて「ビリーヴォーンオーケストラ」と共演。8月、帝国ホテルにおいて「Imperial Jazz Complex2007」プロデュースと出演。約4,400名動員。9月、アルバム 「BLUESKY PLAYS GLENN MILLER」を発表。10月、日暮里サニーホールにて「JAZZ IN ARAKAWA」出演。10月、静岡Granshipにおいてクリニック&コンサート「SWING JAZZ CLUB」に出演。11月、アルバム 「BLUESKY PLAYS DUKE ELLINGTON」を発表。12月、東京国際フォーラムにて「ハルモニア07」にプロデュースと出演。
・平成20年(2008年)
2月、静岡Granshipにおいてクリニック&コンサート「SWING JAZZ CLUB」に出演。2月、アルバム 「BLUESKY PLAYS BENNY GOODMAN」を発表。6月、静岡Granshipにおいてクリニック&コンサート「SWING JAZZ CLUB」に出演。7月、アルバム 「BLUESKY PLAYS BigBand Latin」を発表。7月、JUILLIARD ALL STARSを招聘 。各地で「ワークショップ&コンサート」を開催。8月、帝国ホテルにおいて五周年を迎える「Imperial Jazz Complex2008」プロデュースと出演。約4,400名動員。11月、静岡Granshipにおいてクリニック&コンサート「SWING JAZZ CLUB」に出演。
・平成21年(2009年)
4月~9月、横浜開国博Y150に「ラ・マシン」をはじめ、数多く出演。8月、帝国ホテルにおいて「Imperial Jazz Complex2009」 プロデュースと出演。約4,400名動員。10月、横濱JAZZプロムナードに出演。
・平成22年(2010年)
8月、帝国ホテルにおいて「Imperial Jazz Special 120」 プロデュースと出演。約3,800名動員。









 

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